【ネタバレ】「神様の恋愛相談請け負います」付記 尼野ゆたかと協力者の取材日誌 その1 ~江島神社 前編~

というわけで、あとがきにも書きましたとおり神社巡りの記事を綴っていこうと思います。

あのあとがきを書いた時点では一つの記事にまとめる予定だったのですが、どう考えてもまとまらないなということが分かったので、何度かに分けていきます。

長くなる分、執筆時のこぼれ話もちょいちょい織り込む予定。楽しんで頂けると嬉しいなー。


まずは江島神社から。弁才天が祀られている神社で、日本三大弁天の一つに数えられる社です。

弁才天といえば、陽輔とクビトが最初に相談を請け負う相手。七福神にも数えられ知名度の高い弁才天ですが、「ザ・日本の女神様」であるかどうかは中々意見の分かれるところで、頭に持ってくるのは実を言うとチャレンジングでした(かなり担当さんと話し合った)。パーソナリティについても、数案を経て今の形になりました(最初はもっと距離感が近いタイプだった)。


「神様の恋愛相談請け負います」には早速感想を頂戴していますが、弁才天に好評があったりしてほっと一息。

うちの弁天はちゃんづけされたらどうするでしょうね。むすっとした顔で照れるかな。



1.江の島はあまりに遠し

江島神社があるのは江の島。要するに関東です。

尼野ゆたかが住んでいるのは兵庫県南東部。要するに近畿です。

気軽に行ける距離ではなく、また時期的にもあまり公共交通機関を使うべきでもないタイミングで困っておりましたところ、友人の作家最東対地さんも鎌倉の方を取材したいという話をしていて、ならば


協力してくれませんかとお願いしました。

























最東さんの所有する車は燃費性能に優れたプリウスαであり、長距離移動にばっちり。

彼は日本各地の一風変わったスポットを巡って取材を重ね、自らの小説にフィードバックさせるというスタンスを貫いておりまして、それ故か運転技術もド安定で高速道路を長時間ぶっ飛ばしてもブレがありません。

帰りは豪雨に見舞われほとんど視界がゼロじゃないかという状態になったりしましたが、「余裕余裕」と涼しい顔でハンドルを操っていました。


神社の話をするとかいいつつ最東対地さんの美点ばかり挙げていますが、これは決して「神恋」の後書きを読んだ最東さんに「あれだけ色々手伝ったったのにみんなと並べて『S東さん』とか書くだけとか。ファロ(尼野ゆたかのあだ名)ってほんま友達甲斐のないやつやんな」と責められたからではありません。ありませんよ?























新名神で西から東に移動するお楽しみがこれ。

行く手にどわっと姿を現すんですよね。他の山とは一線を画した一目見てそれと分かる偉容で、やっぱり日本一の山なんだなあと。



2.鳥居の文字を読んでみる











そんなこんなで江の島に到着。お近くにお住まいの和泉桂さんにも同道して頂いて、いざ取材に出発です。

















まずこの鳥居ですね。

鳥居の上の方に文政四年巳歳三月再建の文字。これを見て何となく陽輔のリアクションみたいなものが決まった気がします。

文政四年は1821年。11代将軍徳川家斉の頃で、町人文化が超盛り上がった化政時代と呼ばれる頃ですね。






































それゆえでしょうか、名を連ねているのは商人でした。



この人は、八百善という有名な料亭の主ですね。

文政四年ということは、「料理八百善」と称えられた四代目にあたり、

翌年の文政五年には 『江戸流行料理通』という料理本を葛飾北斎の挿絵(!!)で出して、大ヒットさせた人なんだそうです。

八百善は後にペリーやニコライ2世の饗応料理を出す名店中の名店みたいなところとのことなので、やっぱりちょっと別格扱いなんでしょうか。


他にも、江の島は遊女の信仰も集めていたそうで、当時の花魁の名前もあったりしました(写真が上手に撮れなかった)。







八百善さんと同じく別格扱いのこちらは、江の島にあった下ノ坊というお寺のお坊さんですね。

お坊さんの名前の表記は安国寺恵瓊とか本願寺顕如みたいにお寺+法名でされることがよくありますから、恭真さんなのでしょうか。


江の島には明治までは「岩本院」「上之坊」「下之坊」という三つのお寺があり、それぞれのお寺のお坊さんが三つの宮を管理していました。

神仏習合という言葉もあります通り、別に普通のことなのですね。


明治になって、政治的な理由で神道と仏教を別物にする必要が生じ、神仏分離令という布告が出されました。

その布告に基づきそれまでの信仰の伝統は強引に廃止され、新しい形に作り替えることになりました。

神仏分離令は廃仏毀釈という仏教関連の施設などを破壊する運動(るろうに剣心で安慈の寺が燃やされたあれですね)を引き起こし、江の島もその被害を被り沢山の歴史ある施設や仏像が破壊されたそう。







こちらは宿にした岩本楼という旅館ですが、小さく旧岩本院とあります通り、元々は三つのお寺の一つだったそうです。

宿坊(参詣人を泊める宿舎的な寺)としても長く活動していたため、明治になってから本格的に宿泊施設として事業を始めたとのこと。


ご飯は美味しいし、お風呂はガチの洞窟の中にあるしでとても素敵なお宿でした。

ここに泊まりたいといってクビトが駄々をこねるエピソードがありましたが、枚数の関係でお蔵入りに。

書けてませんが、多分依頼を受けた帰り道にそういうことがあったと思われます。





その際、クビトが離れた猫神主は島の猫と仲良くする予定でした。こちら島の猫と仲良くする最東対地さんです。



3.神様がいっぱい



蛇が出てきたあたりですね。時期が時期なので空いているようですが実際は人だらけでしょうから、ここでじたばたしてた陽輔は相当変な人扱いを受けたことでしょうね。不憫だ……。

ハスキー犬が写っていますが、飼い主さんと島の中を散歩してました。かわいかったです(実は犬好き)。



陽輔が見ていた琵琶型の板はこんな感じです。江島神社の神紋である「波に三つ鱗」が記されています。




狛犬の台座。九比等神社では金属板を付けてますが、こちらはびしっと彫り込まれています。

検校(けんぎょう)というのは目が見えない人の最高官位であり、下ノ坊は目の見えない人たちの信仰を集めていたそうです。

杉山和一という検校(鍼灸の達人で、五代将軍徳川綱吉の奥医師も勤めた)が下ノ坊技術の上達を祈って参拝した際、石に躓いて新たな鍼灸法を思いついたというのがその端緒だそう。

鈴木良明著「江島詣――弁財天信仰のかたち」には、杉山検校の見た目がまずかったので上ノ坊で断られて下ノ坊に来たとか、下ノ坊が杉山検校を後ろ盾に地位向上を図り岩本院と衝突したとか、様々なエピソードがまとめられています。

特に後者の話、伊勢神宮でも内宮と外宮という二つの神社が長く対立してますし、共通点が感じられて面白いですね。




たとえばサルタヒコも祀られてたり。他にも八坂神社(スサノオ)や竜神など、神様が目白押しでした。



それ故でしょうか、波に三つ鱗以外の紋所を見ることもありました。

これは七宝に花菱かな。




他にも江の島は歌舞伎とも関係が深いそうで、市村座(江戸の歌舞伎劇場)の名前も。

本当にバリエーション豊かですね。



ちなみに小説で陽輔がへばっていますが、実際江の島は石段また石段のコースで、

大変な人のために「エスカー」という有料のエスカーレーターがあったりします。途中乗ったりもしたので、撮っとけばよかったなー。切符買って乗るんですよ。面白かった。

エスカーは、江ノ島を舞台にした遠坂カナレさんの小説「江ノ島お忘れ処OHANA ~最期の夏を島カフェで~」でも登場してましたね。



さて今回はここまで。後編では異世界の入り口だったあそこや、本編でちらりとだけ登場した「鐘」についてのお話などを~。