最東対地さんにブログを書くようけしかけられました。
ブログで思いの丈をぶちまけちゃえよ
— 最東対地 (@31tota1) July 2, 2022
こんな感じで。
はてさてなにをぶちまけろと言われているのかというと、最東さんに誘われて映画を観に行き、その感想を交わしておったのですが、自分としては大変示唆に富んだ体験だったのです。結構真面目に。
それについて、ぶちまけていこうと感じです。
全二回か全三回予定。長いよ。お付き合いよろしく。
ふしぎさの周波数
さて。この体験をそのまま話すと、大抵の方には「なんだそれは」と怪訝に思われそうな気配を感じています。
とある作家の方に「独特なことを理路整然と話す」という風に言って頂いたことがあります。これはよいように表現して頂いてのことで、平たく言うと「他人からすると何だかよく分からん話を怒濤の如くぶちまける」となりましょう。なんてこった……
まあ自分のブログだしそれでもいいのかもしれませんが、わざわざ読んでくださっている方に何だかよく分からん怒濤を浴びせかけるのもいかがなものかという話なので、可能な限りチューニングを試みて参ります。
「なんだそれは」「怪訝」以外の何かを生むような文章にしたい。
まずは、可能な限りズレを生まないよう前提の共有から始めさせて下さいませ。
三つの前提
前提その1。
創作に携わるものの感性は多様であることが必要です。
「べきでは」とか「思います」とかで予防線を張ることなく、自信を持って言えます。
出版業界について、関わっている人もいない人も斜陽だ斜陽だと言いたがりますが、であればなおのこと、特定の感性なりなんなりばかり優先して閉鎖的になったらおしまいでしょう。
多様性を保ち、様々な「面白い」に対してオープンでなければなりません。それが流行っていようといまいと。高尚とされようとされまいと。
前提その2。
一方で、僕は時としてさっぱりオープンではありません。
「普段はそうでもないけれど、譲れないところで極めて頑固」なんて感じの評価を、尊敬するある先輩作家様から頂いたことがあります。
まあ割と何でも面白い面白いといってインプットしたりアウトプットしたりしておるわけですが、この「面白いという自分の感じ方」に対しては頑固なようなのです。
特に必死で主張しTwitter上で激論を繰り広げたおぼえもないので、見極められた先輩作家様には感服するばかりです。すべてお見通しなのか……
頑固というと多少ネガティブなニュアンスが伴いますが、悪いところばかりでもないはずで。実際何か軸となるものがなかったら創作、特に小説なんて様々な面で効率の悪いこと続けていられません。
誰に何を言われても変わらないものがあり、それがしっかり守られている限り、他者の評価なり何なりがどうであれ芯の部分は揺らぐことはなく、前へ向かって進みつづけられます。 しかし第一の前提で触れたポイントを考えてみるに、やはり時には視野を大きく広げていく必要があるでしょう。
最近読んだ小説「あの図書館の彼女たち」(ジャネット・スケスリン・チャールズ著 髙山祥子訳 東京創元社)で、本について「他者の立場から物事を見せるような不思議なことのできるものは、ほかにないからです」と表現されていました。いやー素晴らしい。
そんな本を書く人間であれば、他者の視点から考える、あるいはそうするよう努力し続けるというのは大切なはずです。
前提その3。
これはお互いに分かっていることですが、最東さんと僕とはものの見方も感じ方も相当違います。
相当どころじゃないかも。対極ということもないはずですが、重なる部分と重ならない部分では後者の方が大きいかもしれません。
僕自身はそれで全然構わないのですし、最東さんもひとりで映画観たり出かけていったりするタイプですね。
ただ、これは別に揃って偏屈というわけではなく、たとえば最東さんは他人と意見が合うと喜びます。なんかひねくれ者なイメージをもたれがちですが、結構共感を大事にする人間なんだぜ。
とまあ以上のことを踏まえて、話してまいります。
神は見返りを求める
観てきた映画はこちら。
最東さんがファンである𠮷田恵輔さん監督・脚本の映画です。
最東さんがファンである𠮷田恵輔さん監督・脚本の映画です。
感じ方が違う人間二人がこんな難しそうな映画を観たら難しいことになるのではないか、という向きもありましょう。
実際、受け取りようによっては難しいことになったかもしれません。
しかし僕は、その難しさの中に、実に興味深い輝きを見出したのです。以下次回。