前回のブログでお話ししたスペースで、菅野彰さんから「作家としてどういう変遷を辿って来ましたか?」という質問を頂戴しました。
万物は流転する、らしいのだけど
それに対して僕は「分かりません!」とお答えしました。なぜなら分からなかったからです。初歩的なトートロジーを使うしかないほどに分からない……
「分からない」という言葉には様々なニュアンスがありますが、僕としては本当に分からない感じでした。二十七日前の夕食はなんでしたか? と聞かれたような気分というか。
勿論、まったく同じものをずっと書いてきたわけではありません。KADOKAWA富士見系のレーベルさんから多く出しておりますが、他の出版社さんから色々なものを出してきました。
そんなわけである種の変遷はあるはずなのですが、改めて振り返ってみると自分としてはやはり分かりません。「○○を書く!」「○○という結果を目指す!」という明確な何かがあるなら「俺は変わっていない!!」と言えもするのですが……(佐々木禎子さんは「ガワは違うけど同じことを書き続けている気がする」と仰ってました)
たとえば沢山の方に読んで頂けたらいいなあと思って書いているという意味では一貫していますが、おそらくそれは回答にならないでしょうしね。ちょっと煙に巻いてる感すらでるような。
ザメモリーリメインズ
一つ一つの小説を見ると、色々な記憶が蘇ります。何かを込めながら書いているなと感じることもあります。
たとえばデビュー作のこちらは、生まれて初めて投稿した小説が新人賞に落ちた時に思いつきました。
今はもうない梅田の旭屋書店で一次選考の雑誌発表を確認し、落選していることを知り、立ち読みではとよくないと雑誌を買い、帰宅しようと乗った阪神電車の快速急行で閃いて家に帰って書き始めた覚えがあります。その当時は快急が最寄り駅に止まらなかったことまで思い出せる。
他の小説もそれぞれ同様です。思い出が楽しいものばかりではないのと同じように、蘇ってくる何かにはほろ苦いものもあります。人生は上手くいかないな。
さてこうしてみると、結構パーソナルなことを書いてきているかのようです。「わたしは変遷していない。わたしの小説は日記なのだ」ということになるのでしょうか。
しかし、実際のところはそうとも言い切れません。それはなぜか。
子の矛をもって子の盾をとほさば
そもそも、やっぱり読者の方に読んでもらえて反応を貰えるというのも大きいんですよね。
様々な感想(それは好評は勿論のこと、真剣に書かれた不満の表明もです)は心に残ります。そしてやがて次のための燃料へと姿を変えていきます。
沢山の人に読んでもらいたいっていうのも、そこが大きいんですよね。あればあるほど嬉しい。あればあるほど楽しい。
これが混じってくるので、話がややこしくなるわけです。
自分の小説には、自分が反映されている。一方で、他の人の色々な反応も引き出したい。後者は、時代が移ろえば変遷が生じます。一方前者は、「自分」という点で一貫しています。
全然違うものが混線して、矛盾したまま自分のうちにある感じです。これぞ絶対矛盾的自己同一。(違う)
前しか見えない目玉を付けて
自分の小説への向き合い方はストリートビューみたいだな、と思うことがあります。
上から見下ろしてああだなこうだなと分析せず、書く時も読む時もひたすら走り回っているというか。
(勿論まったく何も考えないわけでもないのですが。本当に行き当たりばったりで書いたのは「いざ、昼酒」原稿の初稿くらい。あれは本当に一行先に何が起こるか分からないまま書いてました)
作家たるもの鳥瞰的に小説を把握できないでなんとする、という向きもありましょうし、僕自身そうした方がいいんかなあと思ったこともあるのですが、やっぱなんか違うんですね。できるできない以前に楽しくない。楽しまずにやったことを楽しげに装うことはできません。僕は僕でしかないのでしょう。残念ながら。
どっちみち、借り物の翼では上手く飛べますまい。生えてないなら生えてないで、走破性を高めて駆け抜けるしかないんだろ。
とまあこんな感じですから、色々ごちゃごちゃとなっていてもすっきり切り分けられないわけです。ああ、やっぱり変遷を語るというのは難しいようですね……。
こたつの中にあるものは
さて。自分の小説には様々な思い出があると申しました。毎回何かを込めているとも申しました。それでは、新刊「お邪魔してます、こたつ犬」ではどうでしょうか。
最近よく思うのが、過去はやり直せないし、未来は先取りできないということ。
これまでの失敗を今から取り返すことはできず、これからの出来事を今のうちに試すこともできないのです。
正直つらいなーという感じですが、それはさておき。そんなハードモードな人生という戦場で、何をやってもしくじってばかりの自分がどうにかこうにかやってこられたのかはなぜかというと、それは沢山の誰かに少しずつ温かくしてもらってきたからなんですね。そうでなければとっくに行き詰まっていた気がする。
なので、その温もりを分けられるような小説になっていてほしいなという風に感じるわけです。上手くできたかな。できていたらいいな。是非、一度読んでみて下さいませ。
と言いつつ実は他にも色々ある気もしますけど、長くなりすぎるのでこの辺にしておきます。まああれですよ。こたつの中には洗濯物なり犬なり猫なりなんやかんや入ってるじゃないですか。多分あんな感じ。
というわけで、新刊「お邪魔してます、こたつ犬」をよろしくお願いします。11月15日刊行ですよ。