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論語入門

井波律子さん「論語入門」(岩波新書)。
楽しくて分かりやすい、これぞ入門書!

 

 


門前の小僧ながら入門書の話をいたしますと


世に論語をテーマとした本は多数あり、そのほんの一部をなぞっただけの自分ではありますが、もし入門書として一冊あげるならはこれがいいんではないかな~と思うのです。
その構成は、論語の中から重要な部分をピックアップし、翻訳と解説を加えるという王道なもの。
時に井波先生自身の子供時代の話を挟んだり、時に学術的な見地からの話を添えたりしつつ、常に分かりやすく論語を説き明かしていかれます。
小難しくならず、かと言ってやたらと俗な形に砕きすぎず。とても丁度いい形で、そのエッセンスが伝わってくるのですね。



僕は樊遲が好き


論語というのは、要するにエライ先生である孔子とその弟子達とのやり取りを元に編まれた名言集ないし言行録なわけですが、この論語入門には弟子をクローズアップし解説してまして、ここも面白いポイントなのです。

たとえば同じ儒学の経典である「孟子」とか、道家という学派の「荘子」や「列子」などエラい○子とその弟子が登場する本は他にもあるのですが、大体の場合において弟子は質問したり反応したりするだけの舞台装置なのですが、孔子の弟子たちは違います。
チンピラ出身の熱血漢だとか、商売の才能があるキレ者だとか、ちょっと飲み込みが悪いけど朴訥とした人柄の者だとか、あるいは孔子に「自分よりもすごい」と言わしめながらも早世し孔子を嘆かせる者だとか。
それぞれとても血が通っている、言い換えるとめっちゃキャラ立ちしているわけですね。
そんな面々が繰り広げるあれやこれやを、井波先生はとても愉快に描かれます。嫉妬したり、先生の言葉にむっとしたり、昼寝(ないしもっと不謹慎なこと)をしててボロクソに怒られたり。とても生き生きしています。



ちなみに弟子に着目するのは、たとえば蜂矢邦夫さん「孔子 中国の知的源流」(講談社現代新書)等でもそうだったりします。初学者向けの手法なわけですね。

そしてふと思ったのですが、新約聖書もそんな感じですかね。リーダー格がいたり、疑い深い人がいたり、裏切る人がいたり。
広く受容されるにはやはりキャラクターが大事なのか! というのはさすがに牽強付会かな……。




天、徳をわれに生せり

人間性を彫り込まれているのは孔子自身も同様です。
その方向性としては、冒頭の序において語られる通り「いかなる不遇のどん底にあってもユーモア感覚たっぷり、学問や音楽を心から愛し」「生きることを楽しむ人」というもの。



二、三エピソードを拾いますと。
楽器が下手な弟子をからかったら他の弟子が真に受けたので慌ててフォローしたり、
その弟子から「そんなことがありますか。先生ときたらまったく迂遠ですね」とやり方を批判され、「野蛮だね。お前は。黙って聞きなさい」とムキになって反論したり。
あるいは普段「立派な人は器(使い道の決まった道具)になってはいけない」というのを持論としているのに、とある弟子に「わたしはどういう人間だと思いますか?」と聞かれて「器だなあ」と答えてしまい、「では何の器ですか!」と突っ込まれて「しまった」と思ったり。

そういうほのぼのした部分をクローズアップしつつ、先生と敬愛されるその所以を
反感を持つ人間に危害を加えられようとした時に「天がわたしに徳を授けられている。どうすることができるものか」と堂々と言い放ったり。
あるいは危篤に陥り、ようやく小康状態を得た時、盛大な葬式を用意しようと奔走する弟子に「自分は君たちに手を取られて死ねればよい」と本音を漏らしたり。


こうして様々な角度から描かれる孔子の姿は本当に好ましいもので、すらすらと読み進めることができます。共感は理解の大いなる助け。



アット・ザ・ゲイツ オブ論語


「論語などの古典は、個人に応じて受け取られ方が違うからこそ、時代を超えた普遍性を持って読み継がれてきた」と渡邉義浩さん「論語 孔子の言葉はいかにつくられたか」にありますが、まさにその通り。井波先生の受け取り方を元に説かれる楽しい論語です。
同じ岩波書店から「完訳論語」というゴツい本が出てますが、まずはこの「論語入門」からスタートされるのがオススメです。なんせ完訳論語は3000円くらいしますし……




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