「新しき村」の百年  <愚者の園>の真実

前田速夫さん『「新しき村」の百年  <愚者の園>の真実』(新潮新書)。 

 





人に歴史あり、村にドラマあり

おすすめ頂き読んでみたのですが、これが面白いこと面白いこと。
武者小路実篤が「自他共生、人類共生」「一日六時間労働、あとは自由時間」「個が全体に奉仕するのではなく、個を活かすために全体がある」といった理想を目指して作った、新しき村。存在くらいしか知りませんでしたが、かくもドラマティックな経歴を辿っていたとは!


戦後には養鶏事業が成功し、近隣の農村の平均を遙かに上回る何億という収益を叩き出したり、イベントに徳川夢声やら三船敏郎やらを呼んだり(藤原釜足まで来てる)とすっごい勢いだったんですね~。

その後高齢化が進み人口減と限界集落化に直面するわけですが、その流れが日本社会の流れとそのままリンクしていて、色々と考えさせられもしました。本文でなされる「独立性の高い社会は、世間一般と違い、時々の政治や経済の動向に左右されることは少なく、そのことが何よりの長所と考えてきたが、結果はまるで正反対だった」「今後の日本、世界が辿る先行モデルとさえ化しているのである」という指摘には重いものがあります。

 

 


鋼のメンタルの持ち主・武者小路実篤


筆者は自身の駆け出し時代に担当編集者を務めるなど、実篤と浅からぬ縁があり、それ故に客観的な視点を保ちつつも端々に愛が滲み出た筆致になっており、とても温かい気持ちで読み進めることができました。

 

冷笑を浴びながら(菊池寛なんて小説の中でバカにしたそう)も、恬として活動を続けるその前向きさ。筆者の方は「向日性」と表現していて、思わずふふふとなってしまいました。

実際、実篤のメンタルの強さは半端ありません。最初に見つけた場所(宮崎県の山の中)は水も出なければ土地も痩せていて麦のかゆをすするハメになり、私服警官には監視され(なんせ戦前ですからね……)、当人が村でW不倫をやらかして世間の批判を浴び、ようやく軌道に乗りかけたところでダムで畑が沈むことになり埼玉へ移り……と大変なこと極まりないのに、「杜に彫刻を置きたいな。凝った風車も作りたいな」「あと十年で二、三千人まで増やそうぜ!」みたいに元気いっぱいのノリでいるのには仰天します。すごい。

 

ちなみに当人は、途中であれこれと理由をつけて村から出て行きます。えええ! という感じですが、当人は恬として(この表現を繰り返し使いたいほど恬としている)村に関わり続けます。

必要なお金は惜しみなく投入しますし、終戦直後に井の頭公園で乳牛を見つけて村にプレゼントしたりもしてます。井の頭公園で乳牛拾うってどういうことって感じではありますが……ポケモン捕まえるのとちゃうねんから……(牛は種付けに成功して繁殖までする)



筆者はこのポジティブさを「新しき村」成功の理由の一つとして扱っていますが、実に頷かされます。同じ白樺派の作家である有島武郎が共同農場を試みて失敗したり、恋愛のもつれから心中してしまったりというのとも比較されていますが、確かに物事に対してあんまり切羽詰まってもどうにもならんのですよね~。

引用されている「俺の図太さの爪のあかでもやりたかった武郎さんに」という実篤の言葉には深い含蓄があるように感じられます。

 

 

「勉強、勉強、勉強、勉強のみよく奇蹟を生む」


本文でも言われているとおり、実篤が掲げるものは理想論といえば理想論ですし、彼の姿勢は脳天気といえば脳天気そのものです。しかし実行も結果も伴っていますし、何より本気で色々と考えているのですよね。

「新しき村」が始まった時に有島武郎が送ったメッセージ(国立国会図書館デジタルコレクションでも読めます)にしても、物事と真剣に向き合わんと志していたことが伝わってきます。

 

脳外科医でもあるとある作家さんが、長足の進歩を遂げるAIについて「倫理の話ばかりされていて、哲学の面からの検討が不足しているのでは?」とTwitterで仰っているのをお見かけしたことがありまして。そのことを思い出したりもしたのでした。

如何にあるべきか、なぜそうあるのか、どうしてこれを為すのかという思索を「非実用的」「中二」と軽んじ、目に見える部分だけを追いかけて、そうこうしているうちに現実がまったく別の形に変容してしまいつつあるのですよね……。

 

 

まあ僕の場合は、そもそもの土台がまだまだなんですけどね。「人知るもよし 人知らざるもよし 我は咲くなり」などと嘯ける境地にはとても達しておりません。きっちり咲き誇らねばならぬ。


 

さしあたっては、そうですね。こちらの本は武者小路実篤ブックガイドの側面もあり、「友情」「お目出度き人」辺りの有名なやつのみならず他にも様々に紹介されておりまして。まずは著書を読んでみるところから始めてみようと思います。武者小路実篤のものであっても、有名どころ以外は多くが絶版……という状況とのことですが、図書館など強い味方があります。上の国立国会図書館デジタルコレクションもそうですが、文化を遡るための手立てが充実していることは、一介の読書子もどきとして本当に幸せだなと感じる次第です。