蔵書の苦しみ

 岡崎武志さん「蔵書の苦しみ」(光文社新書)。のちに光文社知恵の森文庫で文庫化もなされています。

 


 

「部屋にいるとギギギギ、ギィー、ギギギギ、ギィーって音がする」ようになった。(中略)その瞬間に、床がズルズルっと傾いていって、ドッカーンと落ちたんですね」
 文中で引用されている文章。何かというと、井上ひさしの仕事場の床が本の重みで抜けた瞬間を綴ったものです。これはそんな本。






「本は家に負担をかける」

本好きが集まるオンラインコミュニティであるデジタル・ケイブの会員さんに「引っ越しで泣く泣く本を処分した」という方がいらして、それで思い出して手にした一冊です。
タイトル通り、古今の蔵書家の例を集めながら蔵書がもたらす苦しみについて書かれた本なのですが、もう出てくるフレーズがいちいちパワーワード過ぎます。「蔵書が家を破壊する」「二千冊減らしてもビクともしない」「万年床のみが生活の場」「燃えたらすっきりする」「母親が『本に殺されるぅ!』って言うくらいですから」「年間二十万円が本の保管に消えていく……」などなど枚挙に暇がありません。
僕自身本がもりもり増えていくし、読みながら書き入れすることもあり手放す気はゼロなので他人事ではありません。蔵書を維持していけるようなライフプランを策定する必要がありますね。発想がおかしい? いやいや、そんなはずはない。



唯火焰の更に一段烈しく空に舞上るを見たるのみ

蔵書にまつわる悲喜こもごもが綴られていていちいち面白いのですが、二つほど印象に残ったものを。


一つが永井荷風にまつわるエピソード。
彼は大正九年に建てた木造二階建ての洋館「偏奇館」で、沢山の蔵書と共に暮らしていたのですが、1945年3月10日東京大空襲で被災しました。
周囲の家よりも一層赤々と炎を上げる己の家の様を、荷風は「これ偏奇館楼上万巻の図書、一時に燃上りしがためと知られたり」 と綴るのです。蓋し名文也。

ちなみに上の文章は
東都書房『永井荷風日記』に拠るもので、たとえば手元にある岩波文庫「摘録断腸亭日乗」だと「これ偏奇館上少なからぬ蔵書の一時に燃るがためと知られたり」となっています。
僕としては上の方が好きかな~。万巻の図書!



もう一つが評論家・谷沢永一にまつわるエピソード。
川西市に住んでいた彼は阪神大震災に被災、十三万冊を超える蔵書を収めた書庫が被害を受け、「踏み込むこともできない危険にして乱雑きわまる打撃」という状態になりました。それを新聞に載せたところ、かの司馬遼太郎が速達で連絡をくれたのですが、その書き出しが「命を掻き回されたようなものでしょう」。何かを集める人なら、これは直観的に理解できる感覚ではないでしょうか。何だかんださすが国民的作家だなー司馬遼太郎と唸った次第です。