週末は、おくのほそ道。

大橋崇行さん「週末は、おくのほそ道。」(双葉文庫)。
ご恵投賜り拝読しました。




「おくの細道」も二人旅でした


主人公の美穂と、ふとしたことをきっかけに再会した友人の空。高校生の頃に一緒に俳句甲子園に参加した二人は、その思い出に導かれるようにして、週末ごとに「おくのほそ道」を辿る旅を始めます。

旅の過程で、二人の直面する悩みや抱えている謎が明らかになっていきます。二人の歩んできた人生の道のりは平坦な舗装された道ではなく、それが「おくのほそ道」と重なることで、味わい深さへと繋がっていきます。



彫り込まれたディテール、特に主人公・美穂が携わる教育の現場の描写には息を呑みます。

美穂は真摯な姿勢で教育に取り組んでいて、それ故に綺麗事に留まらず身も蓋もない話が次々出てきます。「勉強が苦手な子」の集まる学校のリアルが重い。

そんな彼女がプライベートで直面する彼との関係性も、実に考えさせられるものです。

怒鳴り声を浴びせることもなく、暴力を振るうこともなく。しかし、相手をはっきりと追い詰めていく。草食系モラハラ……と表現するのは不謹慎ですが、人を痛めつけることなく傷つけることはできるのだな、と。

決定的となる出来事において、当人がそこの所行に及んだのはあくまで自身のやるべきことのためであり、単純な物欲金銭欲ではないところもまた、単色で塗り潰されない奥行きを感じさせられます。



 「おくのほそ道」を学ぼう

誰もが名前も概要も何となくは知っているけど、でも詳しい内容はと聞かれると困ってしまうもの。そういうものを小説のテーマに据えると、読者を引きつけるにあたって大変効果的とされます。「物語はどうなっていくのだろう?」という興味に加えて、「よく知らなかったこれはどういうものなのだろう?」という関心も引きつけられるからです。

名前は知っていて、松尾芭蕉が書いたものとも知っていて、でも実際にちゃんと読んだことはない。そんな「おくのほそ道」は、まさしくうってつけだといえますね。



とこう言うと、何やら古典文学を功利的に利用しているかのようだと感じる向きもありましょう。しかし、本作はそんな見方を退ける足腰の強さを持っています。

何しろ大橋さんは、成蹊大学の文学部日本文学科で准教授として教鞭を執っておられる専門の文学研究者でいらっしゃいます。「おくのほそ道」という作品について、読み解き、味わい、鑑賞するその切っ掛けとなるよう、丁寧かつ分かりやすい解説を挟みつつ、物語にもしっかり織り込まれているのですね。

おくのほそ道は江戸時代の紀行文学、言ってみれば旅日記であるわけで、普通に読んでいると「へえ~」と流してしまいそうな部分や、「何だかよく分からんのう」となってしまう部分にも、実は当時の時代性というものが反映されています。

関所での苦労、源義経についての認識。そんな普通に語られるとカチコチにカタいテーマが、とても分かりやすく語られていて、まさしく入門編としても楽しめるのです。

冒頭からいきなり「おくのほそ道が国語教育で取り上げられる狙い」を説かれたりもするのですが、主人公の教師設定を活かすことによりまったく読みづらさ晦渋さと無縁なのですね。これはお見事。

大橋さんは、樋口一葉と泉鏡花が現代に転生する「浅草文豪あやかし草紙」(メゾン文庫)を書かれています。文豪のキャラクター化に転生にあやかしに謎解きにと人気要素てんこもりの賑やかさですが、そちらでも文学的なエピソードをやはりしっかりかつ分かりやすく盛り込んでらっしゃいましたね。




ふたりで「道」を歩むこと

もう一つ触れておきたいのが、主人公・美穂と親友の空という二人の女性の関係性でしょうか。

女性同士の関係性というものは、最初に拝読しました「魔法少女あやね」(辰巳出版)に始まり、司書の仕事の紹介を小説の形で行うという試みに挑戦した「司書のお仕事」(学術系出版社である勉誠出版から刊行)などに至るまで度々描かれており、大橋カラーとでも呼ぶべき趣があると勝手に感じていたりします。

今上げました二作品では「百合」と呼ぶべきテイストで仕上げられていました。本作においても同様の観点から読むことも可能でしょうが、今回は上でも書きました通り二人が抱えている悩みの重みにただならぬものがあり、それを反映した雰囲気を感じます。上の美穂の彼のように、男性との関わり方が一つの問題として物語に関わっているので、大橋カラーがそれに合わせた効き方をしているとも換言できましょうか。





「携帯に便にして」「街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめる」


最後に、やや余談ですが。

美穂は、角川ソフィア文庫版のおくのほそ道を携帯してその行程を辿ります。時に電子書籍を使う場面もありますが、読んでいてやはり印象に残るのは紙書籍の方でした。

「学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた」とは「講談社学術文庫の刊行に当たって」にある言葉ですが、文庫本とは本来そういうものですからね。

紙書籍の意義についても、同様にあれこれ考えました。ものとしての形と質量を持って存在していることの価値。それには様々なものがありましょうが、その本を読む者、その本を所有する者と同じ空間にあり、同じ時間を過ごすことによって、唯一無二の一冊になるというのはとても大きいものとして挙げられるのではないでしょうか。


美穂と共に旅をしたことで、角川ソフィア文庫版おくのほそ道は、世界で一冊の「おくのほそ道」になりました。

大橋さんから頂戴し、傍線やマーカーを引いたりあれこれ書き入れたりしながら読んだ「週末は、おくのほそ道。」もまた、僕にとってそういうものになったなと感じています。