資料の森でつまずいて……(前編)

新刊 「期間限定皇后」、発売中です。是非どうぞ。

 




目印は、SNC様のイラスト、そしてwelle design様によるデザインの表紙です!


 というわけでお世話になっている書店様にご挨拶に伺ったりしたのですが、その際「やっぱり資料を読みましたか?」「どんな感じでしたか?」といった質問を頂戴することがありました。
相変わらず当意即妙の返答ができず、その場はもごもごとモゴめいてばかりだったのですが、改めて書面で回答しようと思います。



とはいえ、参考書籍一覧をどんと出すだけでは本当に事務的な対応なので、調べる過程でのちょっとしたエピソードを書きまして、どんな感じだったかを伝えるよすがとしてみます。少し長いですが、よろしければお付き合いくださいまし。




沈潜という言葉が結構好き


実際「期間限定皇后」を書くにあたって、例によって例のごとくあれこれと本を読みました。


どのように読んだかというと、「必要な何かについて調べる」というよりは、「読んでいるうちに必要としている何かが見つかる」感じでした。
小説を書くにあたって資料を読む、取材をするという作家さんは大勢いらっしゃり、皆さんそれぞれに目的意識というものはおありなのですが、僕に関しては「物語をより深く掴むために潜る」というのが近いと思います。


今回は「中夏」という架空の世界、そして現代よりは大分遡った時代を舞台とする物語です。具体的には明という時代がモデルになっています。大体室町~戦国時代にかけての頃ですね。
素人ですので、一般向けの概説書を皮切りにあれこれと勉強するところから始まりました。かつては「つまらない」と言われたりもしたという明代ですが、時間をかけて研究が進んで裾野も広がっているとのことで、大変楽しい読書となりました。


とはいえ明そのものの歴史を述べるわけではないため、適宜物語のためのアレンジを施したり読みやすくするための改変を施しました。歴史をアレンジしましたとか何と生意気なという感じですが、
夏目漱石が、
「ある場合にあっては多少の創造を許すが故に十分attractive(魅力的)となり、attracitiveであって始めて芸術的にリアルになる。こうやったら事実に違おうか、そうしたら嘘になろうか、と戦々恐々として徒に材料たる事物の奴隷となるのは文学の事ではない」(「文章一口話」)
と言った通り、優先されるべきは面白さでありましょう。(漱石を盾にする



一方で、「雰囲気」を味わってもらうためには土台固めが必要です。読むからには、その世界その時代に行った気持ちになってもらいたいんですよね。
まだまだ修行中の身、色々不足しているところもありましょうが、様々な角度から研鑽を積みたいと思っておりまして。その一環であります。



さて、土台固めについて、見える部分、見えない部分色々ありますが、分かりやすくかつ大変なのが「言葉選び」です。

主人公の青蓮が「プライマリーバランスの均衡が」「神の見えざる手によって」とか言い出さないようにするのは勿論のこととして、やはり「それらしい」ものにはしなければなりません。
文章中の和製漢字(働とか込とか枠とか。平仮名にすると一気に雰囲気変わりますよね……)や明治以降の訳語(timeを訳した「時間」とか、societyを訳した「社会」とか。他にも沢山あります。調べる度に「えっこれも!?」となります)など、下手に言い換えると読者の方のテンポ感が崩れそうなものはあえて残しつつも、できるかぎり「その世界、その時代」を感じてもらえるようなものを目指すわけです。

こう言うと、何やら言葉というものに通暁している人であるかのようですが、特にそんなこともないのでいちいち調べて勉強する必要があります。そして、その過程でグエーどうすんだよとなるようなものを見つけることもしばしばです。今回はその一例を挙げましょう。



「あの壺はいいものだー」


「期間限定皇后」には、まあまあの存在感で磁器が登場します。指で弾くといい音色がして、ジオンが何年も戦えるようになるあれです。(違う)

磁器は磁器だろうと思って特に疑問もなく磁器磁器書いていたのですが、たまたまWikipediaの磁器の項目(リンク)を見た時に、

『中国
 磁器ではく、「瓷器」(じき)と書いていて』


という表現に行き当たりました。えええ!? そうなの!?



ちょっと困りました。

何しろ「瓷」なる漢字は、明らかに一般的ではありません。たとえルビを振っても、出てくる度に「ム?」となることでしょう。しかも、ぱっと見て何となく意味を掴むことも難しいため、「それが何であるか?」「実は磁器なんですよ」という説明をデデンと持ってくる必要があります。しかし、文章の流れというか譜割りというかそういうものからして入れる余地がなく、無理に押し込めば必ずマズいことになると直感しました。



上の漱石の言葉を挙げるまでもなく、全ての名詞を正しく表現しなければいけないわけではありません。例えば与謝野晶子訳の源氏物語を読むと、

「大学の予科から本科へと他の学生と同じように」
とか、
「絵そのものより古典的文学の価値、近代的文学の価値を争うようなことになったが」
とか、
平安らしからぬ単語が度々でてきます(与謝野晶子が源氏を何度か訳した中で最初のもの。今は角川ソフィア文庫から「与謝野晶子の源氏物語」というタイトルで刊行)。





与謝野晶子がやっていいんだから尼野ゆたかがやってもいいだろう。終わり!

でもいいのですが、しかしどうにも落ち着きません。そこで、ちょっと調べてみることにしました。

最初に考えたのが、読んだ本にそんなキテレツな字の記述はなかったはずということです。何だよ瓷って。普通にコピペして入力してるけど、書けって言われたら絶対バランス良く書けないぞこんな字。



というわけで、まずひっくり返したのが「天工開物」。

どんな本かと申しますと、明の時代(期間限定皇后はこの時代をモデルにしました。大体室町~戦国時代)の産業技術書です。



東洋文庫版もあるそうですが、僕が参照したのは平凡社ライブラリー版。

染色のやり方やら磚(せん。煉瓦のことです)の焼き方やらから、ミョウバン(理科の実験で加熱したあれ)の作り方とか製糖の技術とかに至るまで挿絵つきで懇切に解説されます。
あまりに細かくて通読するのは大変ですが、たとえば日本刀について「倭人はこんなのどうやって作ってるんだ」みたいに言ってたり、「砒石(砒素を含む鉱物)を焼く時は風上に行って離れるようにする」「扱う人は二年で転職する。そうしないとひげも髪も抜け落ちてしまう」「用途は火薬や田畑の害獣駆除など」なんて話があったり、ほええと驚くこともしばしばある本です。
砒石のとこには「人が食べるとすぐ死ぬ」ともあったな。試しに食べてみた人いたんか……

さて、そんな天工開物ですので、陶器磁器についてもあれこれ語られております。改めてその箇所を読み返してみると、

「美人の麗質にも似た瓷器(磁器に同じ)」

と書かれていました。上のカッコもそのまま本文。つまり注釈つきで書かれていたわけですね。グワーまじか。目が滑ってたか……。


(挿絵画像)
挿絵にもありました。一番右側の字ですね。参ったなこれは。
さてどうしたかにつきましては、少し長くなりましたので以下次回。よろしければお付き合いくださいませ。