後宮の男装妃、髑髏を壊す

 佐々木禎子さん「後宮の男装妃、髑髏を壊す」(双葉文庫)。




生贄妃は天命を占う」(富士見L文庫)で原案を担当してくださった佐々木禎子さんの人気シリーズ、第三作です。



翳りの深さ、その暗さ


このシリーズにおいて、僕が大変楽しみにしまた引きつけられてもいる点が、「人の心の裡にある仄暗いものへの眼差し」です。

他作品においても時に垣間見えることがありますが、こちらのシリーズにおいては一歩踏み込んだ形でフィーチャーされているように感じられるのです。

前作「後宮の男装妃、神剣を賜る」における「反魂香」の扱い方における背徳性で、それが頂点に達したのかもしれない、と感じていましたが、今回の「呪い」はまた異なる形でピークを作ってこられました。山は一つではなかった。山脈だった。

人の心が内に抱える、正しいとは限らない何か。それらに対して、推奨することはなくとも退けることもせず、妖しい魅力を持って描き出す。お見事というべきでしょう。

この仄暗さに引きずり込まれないようバランスを取るのは、主人公・翠蘭です。
武を好み妃なのに妃たちを誑かしてしまうような格好良さは清々しく爽やかで、皇帝に誘惑されるとウブなリアクションも見せる。持ち前の朗らかな愛嬌が、上記の暗さに滑り落ちるのをギリギリのところで引き留めています。

しかしその彼女をしてなお、「暗さ」の側に飲み込まれるかの如き場面が、今回見られました。

それはクライマックス。ネタバレを避けるためにあえて比喩を用いて表現すると「火曜サスペンスにおける断崖」の如きシーンにおいて、彼女は現と幻の境目に佇み、「犯人」に向けて言葉を投げかけます。「ここは呪われた宮なのでしょう?」「あなたが悲鳴を上げても、様子を見に来るのは――幽鬼くらいよ」と。

あえて蛇足を恐れずに触れておくと、中国語における鬼とは、角が生えていて金棒を持っていていいパンツをはいているあの鬼ではなく、我々の言うところの幽霊です。

呪われた宮、浮かばれぬ死者、明かされる罪。恐ろしくも魅惑的で、強く印象に残る場面でした。


光の中にあるはずの存在に翳りが差し込むこの感覚は、「暁花薬殿物語」(富士見L文庫)において主人公・千古が垣間見せたものと重なるところがあります。謎を解くという物語上の義務を背負っているためか、翠蘭の「闇」は千古と比較してまだソフトであるかのようにも感じられます。

ただ、突然闇翠蘭に早変わりするのではなく、彼女が「後宮」の流儀に徐々に取り込まれつつあるという伏線が用意された上でのことであるため、「これで終わり」ではないのかもしれないとも思われてならないのです。
そう、山脈ですね。最高峰はまだ先にあるというのか……!




官能の香り


翠蘭一人に限らず、登場人物たちもまた、物語においての表の役割だけではない、様々な奥行きを抱いているように感じられます。

皇帝・義宗帝もそうでした。彼の醸し出す官能性は時折明らかに過激で、暗黙の内に引かれている一線を踏み越えているかのようにも感じます。今回のラストなどはギリギリで悪ふざけとしてのエクスキューズが用意されており、翠蘭は紙一重のところで脱出できたとも言えるわけですが、伺うところによると既に刊行されている次巻においては更なる「進展」があるかもしれないことで、うわーどうなってしまうのか。「帝都契約結婚 ~だんな様とわたしの幸せな秘密」(二見サラ文庫)では相当に踏み込んだ描写もありましたしね。



誤解のないように申し添えておきますと、暗い人エロい人が入れ替わり立ち替わり現れる過剰にド耽美な物語だというわけではありません。


たとえば今回、科挙の不正というエピソードに関連して登場する陸生。切れ者かと思いきや、大いにズレたところのある彼のユーモラスな姿は、物語にほっとした空気を持ち込んでくれます。

暁花薬殿物語にも征宣という、お薬マニア(これは誤解を招く表現かな笑)である千古と色々な意味で真っ向から渡り合える人物が登場していましたが、そんな征宣にも通じる趣を感じました。次巻以降活躍の場面があることが示唆されているため、とても楽しみですね。

「そのままだと武の道(と後宮モテ女子街道)を驀進し続けかねない翠蘭に突っ込みを入れる」という大変重要な役割を担ってもいる明明、皇帝と一緒になって艶っぽい世界に翠蘭を引きずり込もうとするところも見せる淑妃・馮秋華など、引き続き登場しているレギュラー陣も、時にコミカルに、時に温かく物語を弾ませてくれます。

考えてみれば、皇帝自身、食事のシーンにおいてはとてもほのぼのとした姿を見せてくれますしね。肩の力を抜いて楽しく食事をしている義宗帝の姿は、毎回実にほっこりさせられてしまうところです。


様々な側面から、バリエーション豊かに楽しませてくれるシリーズなのです。
ただそこに留まらず、挑戦的に貪欲に「この世の果ての景色」のあり方を押し広げようとする素振りがあるように感じられるということなのですね。うわーどうなってしまうのか。(二回目)



「世界はこんなに狭くない」

世界と言えば、作品の土台となる世界の姿も大変面白く興味深いところであります。

たとえば皇帝は、皇帝と言えどその権力に大きな制約を課せられています。持っている特別な力も自由に振るうことができません。神剣はくれるしある程度バックアップもしてくれるのですが、スーパーなダーリンとしての活躍を繰り広げてくれるわけではありません。

圧迫してくる隣国、暗躍する反体制的な組織の存在。これらも、控えめながらも効果的な形で物語を支え、没入感を増す効果を感じさせます。

冒頭のシーンに漂う閉塞感も、「後宮」の外に確かな世界があるからこそより真に迫ったものとなっているのでしょうね。

次巻のタイトルは「南都に惑う」とあります。翠蘭が後宮を飛び出すことがはっきりと示されています。そう、後宮がこの作品の世界の果てではないわけです。

何度か引用しました暁花薬殿物語は、「権力者の寵愛を受けて(それに庇われて)活躍する」という構造を宿命的に持つ題材に対して、違う観点からのアプローチを示したシリーズでもありました。

翠蘭の剣が新しい世界を切り拓くことへの期待も、高まるばかりですね!