前回の続きです。
尼野ゆたか筆禍事件
前回の記事をアップロードした後、最東さんから遠回しに都合の悪い内容を書かないようにと圧力を掛けられました。
更にあれこれ書くけど怒ったり根に持ったりせんとってな https://t.co/xBLCNJUnqT
— 尼野ゆたか (@amano_yutaka) July 5, 2022
怒るし根にも持つね❤️
— 最東対地 (@31tota1) July 5, 2022
しかし、
まけないでください!
— オガワ (@m__ogaW) July 5, 2022
こんな感じで励ましを頂戴したので、勇気を出して書きました。脅しには屈しないぞ。
あれこれ書くとツイートしましたが、別に最東さんに不利益なことを書こうというのではありません。
実は最東さんが最近流行りのお洒落なかき氷が大好きだとか、
書店員さんに作ってもらったくす玉を仕事部屋に飾っているとか、
自分の子供相手にゲーセンのマリオカートで本気になった挙げ句突き指して病院に行ったとか、
そういう「作家・最東対地」のイメージとは全く違う素顔を暴露して不利な立場に追い込もう……などというつもりも、一切ございません。
.png)
最東さんが好きなお洒落なかき氷の例。
映画の後で連れて行かれた「天然氷のかき氷とパンケーキのお店 むろの小町」さんのかき氷。色々乗ってます。
前回、それぞれの違いがあったという風な話をしました。
人それぞれじゃないか、いいじゃないかで適当にまとめず、あれこれ意見を交わしたのですが、そのあたりをまんま書いてみようという試みなのです。
違っていた、と明らかにすることに慎重な世の中な気もしますが、知らぬ存ぜぬ顧みぬ。
感想戦(インプレッションウォー)
映画のネタバレにならないように書くのが大変なところですが、
要するに見終わって感想を口にしたところびっくりするくらい齟齬がありました。
最東さんが思うことを言う→いまいちピンとこなかったので僕の感想を言う→最東さんもピンとこなかったのか「そこは想像しながら観るんよ」という→想像はしてるけどなあ……と説明する→うまく伝わらないみたいな。
何というか、WBCバンタム級世界王者Vsおいしい中華風野菜炒めくらいの距離がありました。
「赤コーナーのチャンピオン、前回の防衛戦以上に仕上げてきてますね。足の動きが凄くいいです。右のガードを高く構えているのは、左フックを警戒してのことでしょう」
「一方野菜炒めはいい感じに火が通っています。ごま油の香りが最高。もやしはシャキシャキで食感もばっちりです。これはご飯がもりもり進みますね!」
みたいな感じ。
実はこれ、別の映画を観た時も大抵似たようなことが起こるんですね。
ケースバイケースですが、僕が映画と何らかの同期が取れてしまった時には、立て板に水の如く見解を伝えてしまいます。
そして最東さんはそういう時は「なるほどなるほど」「すごいな」「そういうことか」「言われてみると納得やな」「ファローネンバーグやな」みたいな感じで真面目に聞いてくれました。
さて「神は見返りを求める」がどうだったかというと、明らかに最東さんは色々感じるところ思うところがあり、喋りたい、喋らずにはいられないという感じでした。
そこで僕は、途中から耳を傾けてみることにしました。前は聞いてもらったんだし、今度は自分が聞き手に回る番かなと。
そうすると、大変得るものがあったわけです。
あんまり褒めたくもないのだけれど
僕は多分、作品の中に立ち、登場人物に大変近い目線で観ていたと思います。
なので、色々ビビッドに感じた一方、自分の見方では把握しきれない、視野に入らない部分もあったんですね。
一方最東さんは、おそらく(ある程度)俯瞰する視点も持っていたようです。
なので、構図について思うところを説明してくれたり、あるいは登場人物間の関係性について解説してくれたり、
語られなかった部分について自分の想像を話してくれたりしました。
中に入ってしまうと見えなかったものを、教えてもらったわけです。
また、倫理的にこいつはちょっとどうなんだろう……という登場人物がいたのですが、
最東さんは全く違う観点から評価していました。
これは多分価値観の違いに由来するところでして、話を聞いてもなお感覚は変わりませんでした。
しかし、それはそうとして当該の登場人物が違って見えるようになりました。新しい視点を教えてもらったわけですね。
あとはそうですね。とても興味深かったのが、最東さんが「話してるうちに分かってきた」ということを何度も言っていたこと。
これ、最初から理屈の箱に入れて分析していくタイプの人だと、「なんか適当なことを思いつきで言っている」と感じるのかもしれませんが、そんなことはないと思います。
想像ですが、まず言葉を超えたところにある自分の感性で直観的に受け止め、
それを後から改めて説明しようとしているからなのでは。
聞き手といいつつ僕は「あーそうか」「これもそうか」と思い出したことを言ってもいたのですが、
それを聞いた瞬間、最東さんは「そうそう」と言いつつ更にアップデートしてたんですね。
箱に入ってないから、それだけの融通が利くわけです。
あんまり感謝したくもないのだけれど
とまあそういうわけで、違う見方を提示してもらうことであったり、感性を元に話すことであったり、
そういうものの価値を改めて知れたのでした。
最近アビジット・V・バナジー/エステル・デュフロ著「絶望を希望に変える経済学」を読んでまして。
夫婦でノーベル経済学賞を同時受賞した経済学者による本なのですが、
紙幅を費やして説かれていることの一つが「違う」ことの価値です(この夫婦からして、インド人とフランス人です)。
「自分の同類とばかり一緒にいると、ちがう視点に立てなくなり、ちがう価値観を理解できなくなる。これは大きなデメリットだ」
とか、あるいは
「他人と時間をともにすることで、相手をよく知り、理解し、認められるようになる。その結果、偏見は消えていくという」
とか、そういったことを様々な研究の成果を元に教えてくれます。
無論経済学と銘打っているだけあって、民族や人種など大変マクロな視点に基づいての話なのですが、
自分のものの考え方や感じ方、あるいは創作性というミクロな部分にも様々に当てはまるなあと思えます。
それはきっと、あの日最東さんに映画の感想を浴びせかけられたからというのもあるでしょう。
彼に感謝するのも癪な話ですが、今回はそうするといたします。