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ふたりの道 小間もの丸藤看板姉妹 五

 宮本紀子さん「ふたりの道 小間もの丸藤看板姉妹 五」(ハルキ文庫)。

 







シリーズ最終巻。とても見事な完結でありました。



「丸藤がわたしについてくるのです」(吉蔵)

姉の里久と妹の桃。対照的な個性を持ちながらもこれまで共に歩んできた二人は、遂にそれぞれの道へと進むことになります。
切なさはあります。寂しさも漂います。しかし、後ろ向きな悔いはありません。
自分の道を自分で択び取ったからこその、清々しさがあります。

まさにタイトル通りの、「ふたりの道」。
ラストシーンで元気に跳ねる金魚の簪は、それを鮮やかに象徴していると言えましょう。


商いへの真摯さ、繊細な心の揺れ。シリーズを通じて物語を支えてきた要素は今回も健在。それどころか、より磨き上げられています。だからこそ、エピソードの一つ一つが胸に染みてきます。
僕は個人的に長期シリーズが好きだったりするのですが、五冊くらいでびしっとまとまる物語もやはり素敵ですね。語るべきを、語るべき分だけ語りきる。美しさがありますね。


「今」を生きる時代小説

自分などがそう言ってしまうことには、何とも分不相応でしゃらくさい感じもありますが。
江戸時代を舞台としてはいますが、このシリーズはやはり今を生きる作家が今を生きる読者に向けて書いた作品だなという風に感じます。
それは、「お江戸」を(むしろとても丁寧に描写されています)描けていないとかいうことではなく。
内包されているテーマ、織り込まれている作者の言葉に、生き生きとした「現代性」があるのです。


最近ブログ記事にも書いた「『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか」で、
「論語のような古典の中の古典でも、時代時代で様々な読まれ方をしてきた。時代や個人に応じて受け取られ方が異なるからこそ、時代を超えた普遍性を持って読み継がれてきた」という話がありました。多分国学とかも近いところがあるのかな。あの取り組みがどれだけ普遍的なのかはちょっと分かりませんが。

歴史小説/時代小説は姿を変えながら、そういう営みを受け継いでいるのかもなあなんてことをちょっと思ったりもしたのでした。過去を舞台にして、単に時代を再現するのではなく、異なる受け止め方でもって描き出すことで、時代を越えて現代に命を得るのだなあって。



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